2026年07月02日

七月の風に心をゆだねて

七月になりました。

梅雨の終わりが近づき、夏の気配を感じる季節になりました。

一年の半分が過ぎたことに驚きながら、
「今年、自分は何ができただろう」「まだ何もできていない」と振り返えっている私がいます。

でも、人の心は目に見える成果だけで育つものではないと言い聞かせています。

皆様はいかがですか。

悲しみを抱えながらも朝起きたこと。

大切な人を思って一歩踏み出したこと。

誰かの言葉に耳を傾けたこと。

涙を流しながらも今日を生きたこと。

それらもすべて、心の大切な歩みだと思います。

カウンセリングをしていると、
「変わりたい」という思いと、
「このままではいけない」という焦りの間で苦しんでいる方に多く出会います。

けれど、心は急かされると閉じてしまいます。

花が季節を待って咲くように、
人の心にも、その人だけのタイミングがあります。

だからこそ、自分を責めるよりも、

「ここまでよく頑張ってきたね」と、自分自身に優しく声をかけてあげたいと思います。

七月は、本格的な夏の始まりです。
暑い日差しの中でも、木陰には涼しい風が吹きます。

心も同じです。

どんなに暑く苦しい毎日でも、少し立ち止まれば、ほっとできる風が吹く場所があります。

その風を感じるために、
好きな音楽を聴くこと。
空を見上げること。
季節の花に目を向けること。
大切な人と笑い合うこと。
そんな小さな時間を大切にしていただけたらと思います。

この七月が、皆さまにとって、
無理に頑張る夏ではなく、
自分を大切にしながら、一歩ずつ歩んでいける夏になりますように。
心に涼しい風が吹く毎日でありますよう、お祈りしています。

投稿者 椎名 あつ子 : 13:33 

2026年05月12日

旅が終わって

海外研修から戻って参りました。

今回は久しぶりに長い間のお休みをいただいてきました。

ヨーロッパでの時間は、
日々の生活の中で当たり前になっている感覚や考えを取り除いて、
新たな目線で人や環境や、おかれた状況などを考えるために必要な時間であった気がします。

常識にとらわれた日常の中で
「普通であること」がどれだけ自分を苦しめて生きているかということ
そして、それを自分に対してだけでなく、相手に対しても「普通であること」を
強制しているかということが違う世界にいるとよく分かります。

そんな旅の中での思い出の一つとして
改修後、初めてのパリ・オペラ座ガルニエ宮を訪れました。

まず感じるのは「時間が戻ったようで、同時に今に引き戻される」という不思議な感覚です。

外観は変わらず壮麗で、一歩中へ入ると、空気の透明度が違う。磨き上げられた大理石の階段、金箔の輝き、天井画の色彩——すべてが「本来こうであったはずの姿」に近づいた印象で
特にマルク・シャガールの天井画は、
ただ、単に「綺麗になった」というだけではなく、修復によって見えてくるのは
“歴史の層”でした。

観終わったあとに残るのは、豪華さへの感動だけではなく、
「人が長い時間をかけて守ってきたものに触れた」という静かな余韻です。
記憶の器に入ったような感覚になりました。

きらびやかさに目を奪われながら、ふと気づく。
ここにあるのは、豪華さではなく、守られてきた時間そのものなのだと。

私たちが本来守るべき事が何であるのか。
そして、変わっていく時代の中で
変わってはいけない事との意味とは何であるのか、
「答え」はまだまだ私自身、出せないままではありますが
人生の歴史はまだこれからであるということだけは
今確かに感じています。

40年前に始めて訪れた同じ場所に今再び訪れてみて
長い間、工事中で入ることができずにいましたが
新しいオペラ座の風景は
あの頃の私がみた世界とは又大きく異なりました。

それは、私が変わったからでもありました。

私も年を重ねて
あの若かった頃とは違いますが、
見る視点が大きく変わったことも事実でした。

「うつくしさ」を美しいと心から感じるその感覚が
とても静かでありました。
穏やかに、ゆっくりと見つめて生きたいと思ったのでした。
今日から仕事が再び始まります。
よろしくお願い致します。

投稿者 椎名 あつ子 : 12:25 

2026年03月31日

京都で受け取った静かなメッセージ

先日、京都を訪れ、東寺の桜を観てきました。

その時に一枚の紙を手に取りました。
そこに書かれていたのは、

お大師様のお言葉

「色は空に異ならず 空は色に異ならず」

色(形ある物)の実態は空である。
この世は空であるから、何でも生れて
何でも消えていく。
自分も空であるから実体はない。
自分というものは天気のようにコロコロ変わる現象である。
自分を固めてしまってはいけない。
それが苦の原因である。
決まった自分はない。
            東寺No.184より

目に見えるものと、見えないもの

「色」とは、形あるもの、現実、出来事。
「空」とは、実体のないもの、移ろいゆくもの、本質。

つまりこの言葉は、

目に見える現実も、実は固定されたものではなく、
すべては移り変わり、執着するものではない

ということを伝えているとのことです。

自分という存在もまた「空」

紙の中には、こんな言葉もありました。
自分というものは天気のようにコロコロ変わる現象である

とても深い一文です。

私たちは「これが自分」と思い込んでしまいがちですが、
実際には気分も、考えも、価値観も、日々揺れ動いています。

カウンセリングの現場でもよく感じるのは、
「変わってしまう自分」に苦しむ方が多いということです。

でも、本当は、

変わること自体が自然であり、
そこに良い・悪いはないのかもしれません。

苦しみは「囲い込むこと」から生まれる

この紙には、さらにこう書かれていました。

自分を囲ってしまってはいけない
それが苦の原因である

これはとても大切な視点だと思いました。

「こうでなければいけない自分」

「こう思われたい自分」

「過去の自分」

そういったものに自分を閉じ込めるほど、
心は苦しくなっていきます。

京都で受け取った、小さな気づき

旅先で出会う言葉は、
不思議とその時の自分に必要なものが与えられているように感じられました。

今回のこの言葉は、

「そのままでいい」でもなく
「変わりなさい」でもなく

ただ、

「すべては流れている」

という静かな事実を教えてくれたように感じました。

人間関係や人生の中で、
「どうにもならない」と感じることがある時。

無理に答えを出そうとせず、
少しだけ立ち止まって、

「これは変わっていくものかもしれない」

そう思えるだけで、
心は少し軽くなることがあります。

京都の静かな空気の中で出会ったこの言葉は、
今の私にとって、とてもやさしい処方箋でした。

東寺の桜もまた、
今回久しぶりに京都で出会えた姿でした。

毎年この時期に行くようにしていますが
ちょうどいい具合に綺麗に咲いている桜には出会えない事が多かったのでした。

今年は私には必要な景色でした。

いろいろな事を手放しながらも
新しい事を受け入れて、
優しく穏やかに
変わりゆく時を見つめながら
感謝しながら手を何度も合わせて祈りを捧げてきました。

短いながらも深く尊い時間でした。

投稿者 椎名 あつ子 : 15:49 

2026年03月03日

もう一度のひなまつり

今年のひなまつりは、少し特別でした。

孫のために、新しいお雛様を用意しました。
箱を開けたときの、あのやわらかな木の匂いと、静かな華やかさ。

娘たちが小さかった頃、
私はいつも時間に追われていました。

飾らなきゃ、と思いながらも、
仕事、家事、日々のあれこれに流されて、
心からゆったり眺める余裕はなかった気がします。

でも今回は違いました。

前日からお子さま用のちらし寿司の支度をしたり
御雛様が飾ってあるケーキを買ってきたりしながら
私自身がウキウキしていました。

まだ小さなお孫ちゃんは
ケースの中のひな人形をじっくり見ながら
ひなまつりの歌を首をフリフリしながら歌ってくれたり
「お姫ちゃま。きれいね」
と少しお話しができるようになった
そんな声を聞きながら、
こんなにも穏やかな時間が来るとは思わずにいたので
あー、人生はこうやって巡っているのだなと思ったりしました。

ひなまつりは、女の子の行事だけではなく
“願いを形にする日”なのかもしれません。

健やかに。
幸せに。
その子らしく生きられますように。

親のときは必死で、その時間を取ることもしなかったけれど
祖母になるとこんなにもゆっくりと優しく穏やかな気持ちで
小さな手を握りながら祈れること

役割が変わると、心の位置も変わるものですね。

母としてできなかったことを、
祖母として、そっと手渡せることもある。

それは後悔の埋め合わせではなく、
人生がくれた優しい続編のように思います。

お雛様の穏やかな表情を見ながら、
私はそっと願いました。

どうかこの子が、
誰かと比べることなく、
自分の光で生きていけますように。

そして私自身も、
過去を責めるのではなく、
今できる愛を、丁寧に差し出せますように。

ひなまつりは、
女の子の幸せを祈る日。

でも同時に、
私たち大人の心をも、
やさしく整えてくれる日なのかもしれません。
やわらかな一日となりました。

投稿者 椎名 あつ子 : 14:56 

2026年02月26日

心の中の引き出しを整理すること

人生って、
いろいろなことが、なぜか全部まとめて一気に襲ってくることがあります。

今日の失敗
10年前の後悔
ある人からの一言
なぜか思い出した嫌な歴史
そんな事が一気に津波のように押し寄せてくるとき。
そんな時はあまりにも同時にドンときていて
心の中はもう、引き出しが開きっぱなしのタンス状態です。

そんなとき、ぽろっと出てきた独り言

「それはそれ、これはこれとして」
感情は、混ぜすぎるとだいたい濃すぎます。

あの人に嫌われたかもしれない、とか
昔うまくいかなかったからな・・・今回もダメかもしれない、とか
なんか、もう疲れたな・・・もう私頑張れない気がする、とか

情報、感情、自己評価などを
勝手に自分でかき混ぜて
全部ひとつの鍋に入れて、強火で煮込んでしまうような
つまり自分責めスープの完成です。

そこで

「それはそれ、これはこれとして」

まず、火を止めてみます。
そして、具材、分けてみます。

たとえば——
失敗した私は、確かに落ち込んでいる。
でも同時に、
今日もここにいる私もいる。

これはこれ。
それはそれ。

面白いことに、
どんなに落ち込んでいても
「これはこれ」と切り分けた先には、
なぜかちゃんと
どうにか成るようになっている

それでも存在している。
それだけで、実は十分すごい。

……とはいえ、
毎回うまく切り分けられるわけではありません。

人間なので。
心の引き出し、また全部開けちゃう日もあります。

そんな日は、こうつぶやけばいいと思ったのです。

「それはそれ、これはこれ」
なんて優しい言葉なんでしょう。
それと、これ、の問題を
点と点で結ぶような作業は止めて
苦笑いしながら、
今日の自分をいったん棚に戻す。

それだけで、
心は少しだけ軽くなります。

つぶやきのような小さな言葉でも
時に癒やされる物だと自分で感じた時でした。

投稿者 椎名 あつ子 : 17:13 

プロフィール

横浜心理ケアセンター

『横浜心理ケアセンター』

2000年から横浜市中区で開設しているカウンセリングルームです。
多種医療・弁護士などとの協力体制のもと、心理カウンセリングを行っています。
このブログでは、センターの代表である私が、一人の人間として、一人の女性として、またカウンセラーとして、日々の生活の中で感じた様々な出来事などをエッセイ風にみなさんにお伝えしていきたいと思います。

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